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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
外神田の店はこの頃まだ迷庵の姪光長の代であった。
ほどなく光徳の店の手代が来た。五百は箪笥長持から二百数十枚の衣類寝具を出して見せて、金を借らんことを求めた。手代は一枚一両の平均を以て貸そうといった。しかし五百は抗争した末に、遂に三百両を借ることが出来た。
三百両は建築の費を弁ずるには余ある金であった。しかし目見に伴う飲贈遺一切の費は莫大であったので、五百は終に豊芥子に託して、主なる首飾類を売ってこれに充てた。その状当に行うべき所を行う如くであったので、抽斎はとかくの意見をその間に挟むことを得なかった。しかし中心には深くこれを徳とした。
抽斎の目見をした年の閏四月十五日に、長男恒善は二十四歳で始て勤仕した。八月二十八日に五女癸巳が生れた。当時の家族は主人四十五歳、妻五百三十四歳、長男恒善二十四歳、次男優善十五歳、四女陸三歳、五女癸巳一歳の六人であった。長女純は馬場氏に嫁し、三女棠は山内氏を襲ぎ、次女よし、三男八三郎、四男幻香は亡くなっていたのである。
嘉永三年には、抽斎が三月十一日に幕府から十五人扶持を受くることとなった。藩禄等は凡て旧に依るのである。