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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

次いで登城して諸家の留守居に会う。従者は自ら豢っている若党草履取の外に、主家から附けられるのである。

留守居には集会日というものがある。その日には城から会場へ往く。八百善、平清、川長、青柳等の料理屋である。また吉原に会することもある。集会には煩瑣な作法があった。これを礼儀といわんは美に過ぎよう。譬えば筵席の觴政の如く、また西洋学生団のコンマンの如しともいうべきであろうか。しかし集会に列するものは、これがために命の取遣をもしなくてはならなかった。就中厳しく守られていたのは新参故参の序次で、故参は新参のために座より起つことなく、新参は必ず故参の前に進んで挨拶しなくてはならなかった。

津軽家では留守居の年俸を三百石とし、別に一カ月の交際費十八両を給した。比良野は百石取ゆえ、これに二百石を補足せられたのである。五百の覚書に拠るに、三百石十人扶持の渋江の月割が五両一分、二百石八人扶持の矢島の月割が三両三分であった。矢島とは後に抽斎の二子優善が養子に往った家の名である。これに由って観れば、貞固の月収は五両一分に十八両を加えた二十三両一分と見て大いなる差違はなかろう。