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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
その枳園自撰の文なるを思えば、頗る怪むべきである。枳園が謁したはずの家茂は十三歳の少年でなくてはならない。家定はこれに反して、薨ずる時三十五歳であった。
この年の虎列拉は江戸市中において二万八千人の犠牲を求めたのだそうである。当時の聞人でこれに死したものには、岩瀬京山、安藤広重、抱一門の鈴木必庵等がある。市河米庵も八十歳の高齢ではあったが、同じ病であったかも知れない。渋江氏とその姻戚とは抽斎、宗右衛門の二人を喪って、五百、安の姉妹が同時に未亡人となったのである。
抽斎の著す所の書には、先ず『経籍訪古志』と『留真譜』とがあって、相踵いで支那人の手に由って刊行せられた。これは抽斎とその師、その友との講窮し得たる果実で、森枳園が記述に与ったことは既にいえるが如くである。抽斎の考証学の一面はこの二書が代表している。徐承祖が『訪古志』に序して、「大抵論繕写刊刻之工、拙於考証、不甚留意」といっているのは、我国において初て手を校讐の事に下した抽斎らに対して、備わるを求むることの太だ過ぎたるものではなかろうか。
我国における考証学の系統は、海保漁村に従えば、吉田篁が首唱し、狩谷斎がこれに継いで起り、以て抽斎と枳園とに及んだものである。