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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

そして篁※(「土へん+敦」、第3水準1-15-63)の傍系には多紀桂山があり、※(「木+夜」、第3水準1-85-76)斎の傍系には市野迷庵、多紀庭、伊沢蘭軒、小島宝素があり、抽斎と枳園との傍系には多紀暁湖、伊沢柏軒、小島抱沖、堀川舟庵と漁村自己とがあるというのである。宝素は元表医師百五十俵三十人扶持小島春庵で、和泉橋通に住していた。名は尚質、一字は学古である。抱沖はその子春沂で、百俵寄合医師から出て父の職を襲ぎ、家は初め下谷二長町、後日本橋榑正町にあった。名は尚真である。春沂の後は春澳、名は尚絅が嗣いだ。春澳の子は現に北海道室蘭にいる杲一さんである。陸実が新聞『日本』に抽斎の略伝を載せた時、誤って宝素を小島成斎とし、抱沖を成斎の子としたが、今にるまで誰もこれを匡さずにいる。またこの学統について、長井金風さんは篁※(「土へん+敦」、第3水準1-15-63)の前に井上蘭台と井上金峨とを加えなくてはならぬといっている。要するにこれらの諸家が新に考証学の領域を開拓して、抽斎が枳園と共に、まさに纔に全著を成就するに至ったのである。

わたくしは『訪古志』と『留真譜』