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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

しかし手島が渋江氏を訪うて、お手元不如意のために、今年は返金せられぬということが数度あって、維新の年に至るまでに、還された金は些ばかりであった。保さんが金を受け取りに往ったこともあるそうである。

この一条は保さんもこれを語ることを躊躇し、わたくしもこれを書くことを躊躇した。しかし抽斎の誠心をも、五百の勇気をも、かくまで明に見ることの出来る事実を湮滅せしむるには忍びない。ましてや貴人は今は世に亡き御方である。あからさまにその人を斥さずに、ほぼその事を記すのは、あるいは妨がなかろうか。わたくしはこう思惟して、抽斎の勤王を説くに当って、遂にこの事に言い及んだ。

抽斎は勤王家ではあったが、攘夷家ではなかった。初め抽斎は西洋嫌で、攘夷に耳を傾けかねぬ人であったが、前にいったとおりに、安積艮斎の書を読んで悟る所があった。そして窃に漢訳の博物窮理の書を閲し、ますます洋学の廃すべからざることを知った。当時の洋学は主に蘭学であった。嗣子の保さんに蘭語を学ばせることを遺言したのはこれがためである。

抽斎は漢法医で、丁度蘭法医の幕府に公認せられると同時に世を去ったのである。