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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

良三の如きは頭を一つ竈にしてどてらを被て街上を闊歩したことがあるそうである。優善の背後には、もうネメシスの神が逼り近づいていた。

渋江氏が亀沢町に来る時、五百はまた長尾一族のために、本の小家を新しい邸に徙して、そこへ一族を棲わせた。年月は詳にせぬが、長尾氏の二女の人に嫁したのは、亀沢町に来てからの事である。初め長女敬が母と共に坐食するに忍びぬといって、媒するもののあるに任せて、猿若町三丁目守田座附の茶屋三河屋力蔵に嫁し、次で次女銓も浅草須賀町の呉服商桝屋儀兵衛に嫁した。未亡人は筆算が出来るので、敬の夫力蔵に重宝がられて、茶屋の帳場にすわることになった。

抽斎の蔵書は兼て三万五千部あるといわれていたが、この年亀沢町に徙って検すると、既に一万部に満たなかった。矢島優善が台所町の土蔵から書籍を搬出するのを、当時まだ生きていた兄恒善が見附けて、奪い還したことがある。しかし人目に触れずに、どれだけ出して売ったかわからない。或時は二階から本を索に繋いで卸すと、街上に友人が待ち受けていて持ち去ったそうである。安政三年以後、抽斎の時々病臥することがあって、その間には書籍の散佚することが殊に多かった。