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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

また人に貸して失った書も少くない。就中森枳園とその子養真とに貸した書は多く還らなかった。成善が海保の塾に入った後には、海保竹逕が数渋江氏に警告して、「大分御蔵書印のある本が市中に見えるようでございますから、御注意なさいまし」といった。

抽斎の心に懸けて死んだ躋寿館校刻の『医心方』は、この年完成して、森枳園らは白銀若干を賞賜せられた。

抽斎に洋学の必要を悟らせた安積艮斎は、この年十一月二十二日に七十一歳で歿した。艮斎の歿した時の齢は諸書に異同があって、中に七十一としたものと七十六としたものとが多い。鈴木春浦さんに頼んで、妙源寺の墓石と過去帖とを検してもらったが、並に皆これを記していない。しかし文集を閲するに、故郷の安達太郎山に登った記に、干支と年齢のおおよそとが書してあって、万延元年に七十六に満たぬことは明白である。子文九郎重允が家を嗣いだ。少い時疥癬のために衰弱したのを、父が温泉に連れて往って治したことが、文集に見えている。抽斎は艮斎のワシントンの論讃を読んで、喜んで反復したそうである。恐くは『洋外紀略』の「嗚呼話聖東、雖生於戎羯、其為人、有足多者」