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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
「弘前には少壮者中に中村春台、三上道春、北岡有格、小野圭庵の如きものがある。その他小山内元洋のように新に召し抱えられたものもある。しかし江戸定府出身の少い医者がない。ちと医業の方をも出精してはどうだ」といった。かつ令の発せられる少し前の出来事で、成善が津軽承昭に医として遇せられていた証拠がある。六月十三日に、藩知事承昭は戦を大星場に習わせた。承昭は五月二十六日に知事になっていたのである。銃声の盛んに起った時、第五大隊の医官小野道秀が病を発した。承昭は傍に侍した成善をして小野に代らしめた。此の如く渋江氏の子が医を善くすることは、上下皆信じていたと見える。しかしこれがために、現に儒を以て仕えているものを不幸に陥いれたのは、同情が闕けていたといっても好かろう。
矢島優善は前年の暮に失踪して、渋江氏では疑懼の間に年を送った。この年一月二日の午後に、石川駅の人が二通の手紙を持って来た。優善が家を出た日に書いたもので、一は五百に宛て、一は成善に宛ててある。並に訣別の書で、所々涙痕を印している。石川は弘前を距ること一里半を過ぎぬ駅であるが、使のものは命ぜられたとおりに、優善が駅を去った後に手紙を届けたのである。