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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

抽斎は安政五年に五十四歳で亡くなったから、保さんはその時まだ二歳であった。幸に母五百は明治十七年までながらえていて、保さんは二十八歳で恃を喪ったのだから、二十六年の久しい間、慈母の口から先考の平生を聞くことを得たのである。

抽斎は保さんを学医にしようと思っていたと見える。亡くなる前にした遺言によれば、経を海保漁村に、医を多紀安琢に、書を小島成斎に学ばせるようにいってある。それから洋学については、折を見て蘭語を教えるが好いといってある。抽斎は友人多紀庭などと同じように、頗るオランダ嫌いであった。学殖の深かった抽斎が、新奇を趁う世俗と趨舎を同じくしなかったのは無理もない。劇を好んで俳優を品評した中に市川小団次の芸を「西洋」だといってある。これは褒めたのではない。然るにその抽斎が晩年に至って、洋学の必要を感じて、子に蘭語を教えることを遺言したのは、安積艮斎にその著述の写本を借りて読んだ時、翻然として悟ったからだそうである。想うにその著述というのは『洋外紀略』などであっただろう。保さんは後に蘭語を学ばずに英語を学ぶことになったが、それは時代の変遷のためである。