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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

優の家にいた岡寛斎も、優に推挙せられて工部省の雇員になった。寛斎は後明治十七年十月十九日に歿した。天保十年生であるから、四十六歳を以て終ったのである。寛斎は生れて姿貌があったが、痘を病んで容を毀られた。医学館に学び、また抽斎、枳園の門下におった。寛斎は枳園が寿蔵碑の後に書して、「余少時曾在先生之門、能知其為人、且学之広博、因窃録先生之言行及字学医学之諸説、別為小冊子」といっている。わたくしはその書の存否を審にしない。寛斎は初め伊沢氏かえの生んだ池田全安の女梅を娶ったが、後これを離別して、陸奥国磐城平の城主安藤家の臣後藤氏の女いつを後妻に納れた。いつは二子を生んだ。長男俊太郎さんは、今本郷西片町に住んで、陸軍省人事局補任課に奉職している。次男篤次郎さんは風間氏を冒して、小石川宮下町に住んでいる。篤次郎さんは海軍機関大佐である。

陸はこの年矢川文一郎と分離して、砂糖店を閉じた。生計意の如くならざるがためであっただろう。文一郎が三十三歳、陸が二十七歳の時である。

次で陸は本所亀沢町に看板を懸けて杵屋勝久と称し、長唄の師匠をすることになった。

矢島周禎の一族もまたこの年に東京に遷った。