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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
周禎は霊岸島に住んで医を業とし、優の前妻鉄は本所相生町二つ目橋通に玩具店を開いた。周禎は素眼科なので、五百は目の治療をこの人に頼んだ。
或日周禎は嗣子周策を連れて渋江氏を訪い、束脩を納めて周策を保の門人とせんことを請うた。周策は已に二十九歳、保は僅に十七歳である。保はその意を解せなかったが、これを問えば周策をして師範学校に入らしむる準備をなさんがためであった。保は喜び諾して、周策をして試験諸科を温習せしめかつこれに漢文を授けた。周策は後生徒の第二次募集に応じて合格し、明治十年に卒業して山梨県に赴任したが、幾もなく精神病に罹って罷められた。
緑町の比良野氏では房之助が、実父稲葉一夢斎と共に骨董店を開いた。一夢斎は丹下が老後の名である。貞固は月に数度浅草黒船町正覚寺の先塋に詣でて、帰途には必ず渋江氏を訪い、五百と昔を談じた。
抽斎歿後の第十六年は明治七年である。五百の眼病が荏苒として治せぬので、矢島周禎の外に安藤某を延いて療せしめ、数月にして治することを得た。
水木はこの年深川佐賀町の洋品商兵庫屋藤次郎に再嫁した。二十二歳の時である。
妙了尼はこの年九十四歳を以て韮山に歿した。