轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
といった。
「贅沢をお言いでない。鰻はこの土地でも高かろう」といって、五百は止めようとした。
「まあ、聞いて見ましょう」といって、保は出て行った。価を問えば、一銭に五串であった。当時浜松辺で暮しの立ちやすかったことは、これに由って想見することが出来る。
保は初め文部省の辞令を持って県庁に往った。浜松県の官吏は過半旧幕人で、薩長政府の文部省に対する反感があって、学務課長大江孝文の如きも、頗る保を冷遇した。しかし良久しく話しているうちに、保が津軽人だと聞いて、少しく面を和げた。大江の母は津軽家の用人栂野求馬の妹であった。後大江は県令林厚徳に稟して、師範学校を設けることにして、保を教頭に任用した。学校の落成したのは六月である。
数月の後、保は高町の坂下、紺屋町西端の雑貨商江州屋速見平吉の離座敷を借りて遷った。この江州屋も今なお存しているそうである。
矢島優はこの年十月十八日に工部少属を罷めて、新聞記者になり、『魁新聞』、『真砂新聞』等のために、主として演劇欄に筆を執った。『魁新聞』には山田脩が倶に入社し、『真砂新聞』には森枳園が共に加盟した。枳園は文部省の官吏として、医学校、工学寮等に通勤しつつ、旁ら新聞社に寄稿したのである。