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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

抽斎歿後の第十八年は明治九年である。十月十日に浜松師範学校が静岡師範学校浜松支部と改称せられた。これより先八月二十一日に浜松県を廃して静岡県に併せられたのである。しかし保の職は故の如くであった。

この年四月に保は五百の還暦の賀延を催して県令以下の祝を受けた。

五百の姉長尾氏安はこの年新富座附の茶屋三河屋で歿した。年は六十二であった。この茶屋の株は後敬の夫力蔵が死ぬるに及んで、他人の手に渡った。

比良野貞固もまたこの年本所緑町の家で歿した。文化九年生であるから、六十五歳を以て終ったのである。その後を襲いだ房之助さんは現に緑町一丁目に住んでいる。

小野富穀もまたこの年七月十七日に歿した。年は七十であった。子道悦が家督相続をした。

多紀安琢もまたこの年一月四日に五十三歳で歿した。名は元、号は雲従であった。その後を襲いだのが上総国夷隅郡総元村に現存している次男晴之助さんである。

喜多村栲窓もまたこの年十一月九日に歿した。栲窓は抽斎の歿した頃奥医師を罷めて大塚村に住んでいたが、明治七年十二月に卒中し、右半身不随になり、此にって終った。享年七十三である。

抽斎歿後の第十九年は明治十年である。