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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
保が名を告げた時、福沢は昔年の事を語り出でてこれを善遇した。
当時慶応義塾は年を三期に分ち、一月から四月までを第一期といい、五月から七月までを第二期といい、九月から十二月までを第三期といった。保がこの年第三期に編入せられた第三等はなお第三級といわんがごとくである。月の末には小試験があり、期の終にはまた大試験があった。
森枳園はこの年十二月一日に大蔵省印刷局の編修になった。身分は准判任御用掛で、月給四十円であった。局長得能良介は初め八十円を給せようといったが、枳園は辞していった。多く給せられて早く罷められんよりは、少く給せられて久しく勤めたい。四十円で十分だといった。局長はこれに従って、特に耆宿として枳園を優遇し、土蔵の内に畳を敷いて事務を執らせた。この土蔵の鍵は枳園が自ら保管していて、自由にこれに出入した。寿蔵碑に「日々入局、不知老之将至、殆為金馬門之想云」と記してある。
抽斎歿後の第二十二年は明治十三年である。保は四月に第二等に進み、七月に破格を以て第一等に進み、遂に十二月に全科の業を終えた。下等の同学生には渡辺修、平賀敏があり、また同じ青森県人に芹川得一、工藤儀助があった。