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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
上等の同学生には犬養毅さんの外、矢田績、安場男爵があり、また同県人に坂井次永、神尾金弥があった。後の二人は旧会津藩士である。
万来舎では今の金子子爵、その他相馬永胤、目賀田男爵、鳩山和夫等が法律を講ずるので、保も聴いた。
山田脩はこの年電信学校に入って、松本町の家から通った。陸の勝久が長唄を人に教うる旁、音楽取調所の生徒となったのもまたこの年である。音楽取調所は当時創立せられたもので、後の東京音楽学校の萌芽である。この頃水木は勝久の許を去って母の家に来た。
この年また藤村義苗さんが浜松から来て渋江氏に寓した。藤村は旧幕臣で、浜松中学校の業を卒え、遠江国中泉で小学校訓導をしていたが、外国語学校で露語生徒の入学を許し、官費を給すると聞いて、その試験を受けに来たのである。藤村は幸に合格したが、後に露語科が廃せられてから、東京高等商業学校に入ってその業を卒え、現に某々会社の重役になっている。
松本町の家には五百、保、水木の三人がいて、諸生には山田要蔵とこの藤村とが置いてあったのである。
抽斎歿後の第二十三年は明治十四年である。当時慶応義塾の卒業生は世人の争って聘せんと欲する所で、その世話をする人は主に小幡篤次郎であった。