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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
第二には本所の渋江氏がある。女主人は抽斎の四女陸で、長唄の師匠杵屋勝久さんがこれである。既に記したる如く、大正五年には七十歳になった。
陸が始て長唄の手ほどきをしてもらった師匠は日本橋馬喰町の二世杵屋勝三郎で、馬場の鬼勝と称せられた名人である。これは嘉永三年陸が僅に四歳になった時だというから、まだ小柳町の大工の棟梁新八の家へ里子に遣られていて、そこから稽古に通ったことであろう。
母五百も声が好かったが、陸はそれに似た美声だといって、勝三郎が褒めた。節も好く記えた。三味線は「宵は待ち」を弾く時、早く既に自ら調子を合せることが出来、めりやす「黒髪」位に至ると、師匠に連れられて、所々の大浚に往った。
勝三郎は陸を教えるに、特別に骨を折った。月六斎と日を期して、勝三郎が喜代蔵、辰蔵二人の弟子を伴って、お玉が池の渋江の邸に出向くと、その日には陸も里親の許から帰って待ち受けていた。陸の浚が畢ると、二番位演奏があって、その上で酒飯が出た。料理は必ず青柳から為出した。嘉永四年に渋江氏が本所台所町に移ってからも、この出稽古は継続せられた。
その百十三
渋江氏が一旦弘前に徙って、その後東京と改まった江戸に再び還った時、陸は本所緑町に砂糖店を開いた。