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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
園は太だ広く、珍奇な花卉が多かった。園を過ぎて菜圃に入ると、その傍に竹藪があって、筍が叢り生じていた。主公が芸人らに、「お前たちが自分で抜いただけは、何本でも持って帰って好いから勝手に抜け」といった。男女の芸人が争って抜いた。中には筍が抽けると共に、尻餅を擣くものもあった。主公はこれを見て興に入った。筍の周囲の土は、予め掘り起して、鬆めた後にまた掻き寄せてあったそうである。それでも芸人らは容易く抜くことを得なかった。家苞には筍を多く賜わった。抜かぬ人もその数には洩れなかった。
前田家、伊達家、牧野家、小笠原家、黒田家、本多家へも次第に呼ばれることになった。初て往った頃は、前田家が宰相慶寧、伊達家が亀三郎、牧野家が金丸、小笠原家が豊千代丸、黒田家が少将慶賛、本多家が主膳正康穣の時であっただろう。しかしわたくしは維新後における華冑家世の事に精しくないから、もし誤謬があったら正してもらいたい。
勝久は看板を懸けてから四年目、明治十年四月三日に、両国中村楼で名弘めの大浚を催した。浚場の間口の天幕は深川の五本松門弟中、後幕は魚河岸問屋今和と緑町門弟中、水引は牧野家であった。