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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
、第3水準1-85-76)斎がその後を承けて発展させた。篁※(「土へん+敦」、第3水準1-15-63)は抽斎の生れる七年前に歿している。迷庵が※(「木+夜」、第3水準1-85-76)斎らと共に研究した果実が、後に至って成熟して抽斎らの『訪古志』となったのである。この人が晩年に『老子』を好んだので、抽斎も同嗜の人となった。
狩谷※(「木+夜」、第3水準1-85-76)斎、名は望之、字は卿雲、※(「木+夜」、第3水準1-85-76)斎はその号である。通称を三右衛門という。家は湯島にあった。今の一丁目である。※(「木+夜」、第3水準1-85-76)斎の家は津軽の用達で、津軽屋と称し、※(「木+夜」、第3水準1-85-76)斎は津軽家の禄千石を食み、目見諸士の末席に列せられていた。先祖は参河国苅屋の人で、江戸に移ってから狩谷氏を称した。しかし※(「木+夜」、第3水準1-85-76)斎は狩谷保古の代にこの家に養子に来たもので、実父は高橋高敏、母は佐藤氏である。安永四年の生で、抽斎の母縫と同年であったらしい。果してそうなら、抽斎の生れた時は三十一歳で、迷庵よりは十少かったのだろう。