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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
わたくしは抽斎の誕生を語るに当って、後にその師となるべき人々を数えた。それは抽斎の生れた時、四十一歳であった迷庵、三十一歳であった斎、二十九歳であった蘭軒の三人と、京水とであって、独り京水は過去帖を獲るまでその齢を算することが出来なかった。なぜというに、京水の歿年が天保七年だということは、保さんが知っていたが、年歯に至っては全く所見がなかったからである。
過去帖に拠れば京水の父玄俊は名を某、字を信卿といって寛政九年八月二日に、六十歳で歿し、母宇野氏は天明六年に三十六歳で歿した。そして京水は天保七年十一月十四日に、五十一歳で歿したのである。法諡して宗経軒京水瑞英居士という。
これに由って観れば、京水は天明六年の生で、抽斎の生れた文化二年には二十歳になっていた。抽斎の四人の師の中では最年少者であった。
後に抽斎と交る人々の中、抽斎に先って生れた学者は、安積艮斎、小島成斎、岡本况斎、海保漁村である。
安積艮斎は抽斎との交が深くなかったらしいが、抽斎をして西学を忌む念を翻さしめたのはこの人の力である。艮斎、名は重信、修して信という。通称は祐助である。奥州郡山の八幡宮の祠官安藤筑前親重の子で、寛政二年に生れたらしい。