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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

然るにこの年藩主がいわゆる詰越をすることになった。例に依って翌年江戸に帰らずに、二冬を弘前で過すことになったのである。そこで冬になる前に、種々の防寒法を工夫して、豕の子を取り寄せて飼養しなどした。そのうち冬が来て、江戸で父の病むのを聞いても、帰省することが出来ぬので、抽斎は酒を飲んで悶を遣った。抽斎が酒を飲み、獣肉をうようになったのはこの時が始である。

しかし抽斎は生涯煙草だけは喫まずにしまった。允成の直系卑属は、今の保さんなどに至るまで、一人も煙草を喫まぬのだそうである。但し抽斎の次男優善は破格であった。

抽斎のまだ江戸を発せぬ前の事である。徒士町の池田の家で、当主瑞長が父京水の例に倣って、春の初に発会式ということをした。京水は毎年これを催して、門人を集えたのであった。然るに今年抽斎が往って見ると、名は発会式と称しながら、趣は全く前日に異っていて、京水時代の静粛は痕だに留めなかった。芸者が来て酌をしている。森枳園が声色を使っている。抽斎は暫く黙して一座の光景を視ていたが、遂に容を改めて主客の非礼を責めた。瑞長は大いに羞じて、すぐに芸者に暇を遣ったそうである。