Japanische Klassiker mit Furigana
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げんだいやくろんご
現代訳論語
下村 湖人
Lesen Sie 現代訳論語 (げんだいやくろんご) von 下村 湖人 (しもむらこじん) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 127.327 Zeichen · 256 Bildschirme
六(一五三)
七(一五四)
八(一五五)
六(一五三)
先師がいわれた。――
「常に志を人倫の道に向けていたい。体得した徳を堅確に守りつづけたい。行うところを仁に合致せしめたい。そして楽しみを六芸に求めたい。」
○ 六芸==原文には単に「芸」とあるが、礼・楽・射・御・書・数などをいうのであろう。今日でいえば各種の技能・文学・芸術・健全なスポーツ等にあたる。
七(一五四)
先師がいわれた。――
「かりそめにも束脩をおさめて教えを乞うて来たからには、私はその人をなまけさしてはおかない。」
○ 束脩==「脩」は乾肉。それを十束たばねたのが「束脩」。入門のしるしにそれを持参する習慣だつたのである。日本でも明治の中葉頃まで、この言葉は入学金の意味に使われていた。
○ 本章についてはいろいろの解釈があるが、私はそのいずれにもよらなかつた。原文の「吾未だかつて誨ゆる無くんばあらず」を単に「教えてやる」とか「教えないことはない」とか解するだけでは、あまりにも浅薄平凡で、殆ど無意味に近いし、ことに「誨」の字には特別の意味があると思つたからである。
八(一五五)
先師がいわれた。――
「私は、教えを乞う者が、先ず自分で道理を考え、その理解に苦しんで歯がみをするほどにならなければ、解決の糸口をつけてやらない。