Japanische Klassiker mit Furigana
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げんだいやくろんご
現代訳論語
下村 湖人
Lesen Sie 現代訳論語 (げんだいやくろんご) von 下村 湖人 (しもむらこじん) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 127.327 Zeichen · 256 Bildschirme
三四(一八一)
ただ私は、その境地を目ざして厭くことなく努力している。また私の体験をとおして倦むことなく教えている。それだけが私の身上だ。」
すると、公西華がいった。――
「それだけと仰しゃいますが、そのそれだけが私たち門人には出来ないことでございます。」
三四(一八一)
先師のご病気が重かった。子路が病気平癒のお祷りをしたいとお願いした。すると先師がいわれた。――
「そういうことをしてもいいものかね。」
子路がこたえた。――
「よろしいと思います。誄に、汝の幸いを天地の神々に祷る、という言葉がございますから。」
すると、先師がいわれた。――
「そういう祷りなら、私はもう久しい間祷っているのだ。」
○ 誄==死者を哀しんでその徳行を述べ、その霊前に献ぐる言葉。
○ 子路の祷りは、謂ゆる苦しい時の神頼みで、迷信的祈祷以上のものではない。それに対して孔子は、真の心の祷り、つまり天地に恥じない人間としての精進こそは、幸福に到る道だ、ということを説いた。孔子の教えには宗教がない、とよくいわれるが、「天」という言葉は、孔子によつて常に宗教的な意味に使われているのである。
三五(一八二)
先師がいわれた。