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ふうりゅうたいへいき

風流太平記

山本 周五郎

「四国新聞」1952(昭和27)年12月12日~1953(昭和28)年7月13日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 244,473 字 · 487 页

青空文庫

松島屋松吉の旦那であり、洲崎の升屋で主脳部に指令を出していた、「岡さま」という人物は、それがなに者であるかもわからず、捕えることもできなかった。

加波山は結城藩、要害山は甲府城、それぞれの責任で始末し、これまた、その跡も残らないくらい入念に片づけた。

こうして五月四日、――

すべての処理が終り、いちど和歌山から出府した形式で、左近将監頼興が帰国すると、余類の現われるけはいもないと判明したので、「朱雀調べ」に関する書類を、老中立合いのもとに、ことごとく焼いてしまった。

調書焼却の日には、花田三兄弟をはじめ、中谷兵馬、斧田又平、太田嘉助、村野伊平、沢野雄之助、梶原大九郎、添島公之進、死んだ林市郎兵衛の代りとしてその兄の五郎左衛門ら十一名が登城し、老中から労を謝されたうえ、それぞれ恩賞の沙汰があった。

井伊家の小出辰弥、大久保家の牧田数馬も、藩主から褒賞されたし、甲野のつな、木島かよ、和泉屋の八重にも、花田徹之助を通じて、非公式の賜金がさがった。

二

――これよりさき、――

休之助は紀伊家で甲野を再興し、万三郎は養子さきの吉岡伊吾家へ戻った。

そして五月四日に、調書焼却のあった日の夜、麹町六丁目にある花田家で、二た組の祝言が行われた。