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しんせい

新生

島崎 藤村

「東京朝日新聞」1918(大正7)年5月1日~10月5日、1919(大正8)年8月5日~10月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 334,815 字 · 663 页

青空文庫

壁越しに聞えて来る靴音は、その人に面と対っている時にも勝って、隣の旅客の学者らしい倦怠を伝えて来た。

岸本は置戸棚の開き戸に張ってある姿見の前に行った。旅に来て一層白さの眼立つように成った彼自身の髪の毛がその硝子に映った。しばらく彼は自分で自分のすがたに見入っていた。何となく自ら欺こうとするような人がその姿見の中に居た。

「Dead secret.」

ふとそんな忌々しい言葉が英語で彼の口に浮んだ。誰にも知れないように自己の行跡を葬ろうとしている岸本は、なるべく他の事に紛れて、暗い秘密に触ることを避けようとした。遠く国を離れて一年あまり待つうちに、「何事も知らない人が一寸見たぐらいでは分らないまでに成ったから安心してくれ」という便りを姪から受取るほどに成った。兄が黙っていてくれ、節子が黙っていてくれ、自分もまた黙ってさえいれば、どうやらこの事は葬り得られそうに見えて来た。兄が黙っていてくれないようなことは無かった。兄は一度引受けたことを飽くまでも守り通す性質で、人一倍体面を重んずる人で、おまけにこの事は娘の生涯にも関ることであるから。節子が黙っていてくれないようなことは無かった。