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しんせい
新生
島崎 藤村
「東京朝日新聞」1918(大正7)年5月1日~10月5日、1919(大正8)年8月5日~10月24日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 334,815 字 · 663 页
五
ソルボンヌの大学に近い旅館に移ってから、毎日のように彼は用達に出歩いた。これから倫敦へ渡ろうとする手続きを済ますためには、巴里の警察署へも行き、外務省へも行き、英吉利の領事館へも行った。国の方の親しい人達への土産として、こころざしばかりの品々を探すためには、古いサン・ゼルマンの並木街なぞを歩き廻った。丁度セルヴァンテスの三百年祭も来ていて、あの「ドン・キホオテ」を書いた西班牙の名高い作者を記念するための新刊の著述なぞが本屋の店頭を飾っていた。学芸に心を寄せる岸本のような男に取っては、そうした新刊書の眼につく飾窓の前を通りながら、もう黄ばんだ若葉の延びて来ているマロニエの並木の間を往ったり来たりした時には余計に旅らしい心を深くしたのであった。別離を告げるために、彼は日頃懇意にした仏蘭西人の家々をも訪ねて見た。どの家を叩いても戦時らしい心持を起させないところは無かった。ビヨンクウルの書記の家へ行って見た。そこでは最早老婦人の姿は見えず、細君も留守で、二人の子供が家婢を相手に淋しそうにしていた。ブロッスの老教授の家へ行って見た。そこでは戦地の方へ行っている若い子息の一人が負傷したとやらで、教授夫婦は見舞のために出掛けて、家婢が心配顔に留守番をしていた。