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しんせい

新生

島崎 藤村

「東京朝日新聞」1918(大正7)年5月1日~10月5日、1919(大正8)年8月5日~10月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 334,815 字 · 663 页

青空文庫

九十二

四年の間自己の秘密を隠しに隠そうとした岸本の心にも、漸くその時に成ってある転機が萌して来た。暗い暗い心を抱いて遠く流浪の旅に上った日以来、いくらかでも彼が明るいところへ出て来たと思ったことは、二度あった。一度は、異郷の旅を行き尽して再び故国へと彼の心の向うように成った時だ。彼は赤い着物でも脱ぎ捨てるようにして、あの着古した旅の服を巴里の客舎に脱ぎ捨てて来た。当時の彼の心では、どうやら自分の一生の失敗も葬り得られたつもりであった。国に帰ることは、彼には赦されることであった。五十五日の船旅の後で、彼は夢寐にも忘れることの出来ない土を踏んだ。そうして自分の子供の側まで帰って来て見ると、未だ未だ彼は眼に見えない牢屋の中に自分を見つけた。彼は不幸な犠牲者が自分と同じ牢屋の中にあるのを発見した。彼が笑ったことの無い節子の心からの笑顔を見た日は、すくなくも明るいところへ出て来たと思った二度目の時であった。けれども彼の言うこと為すこと考えることは過去の行為に束縛せられて、何時でも最後には暗い秘密に行って衝き当った。彼は過去の罪過を償おうが為に苦しんでも、自分の虚偽を取除こうが為には今まで何事も努めなかったことに気がついた。