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しんせい

新生

島崎 藤村

「東京朝日新聞」1918(大正7)年5月1日~10月5日、1919(大正8)年8月5日~10月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 334,815 字 · 663 页

青空文庫

三十

腐ってしまいそうだとよく岸本の嘆いていた身体が、ひょっとすると持病に成るかとまで疼痛を恐ろしく感じていた身体が、小舟を漕いで見たり針医に打たせたりしてまだそれでも言うことを利かなかった身体が、半日ぐらい壁の側に倒れていることはよく有って激しい疲労と倦怠とをどうすることも出来なかったような身体が、その時に成って初めて言うことを利いた。彼は精神から汗を出した。そしてズキズキと病める腰のことなぞは忘れてしまった。一切を捨てて海の外へ出て行こう。全く知らない国へ、全く知らない人の中へ行こう。そこへ行って恥かしい自分を隠そう。こうした心持は、自ら進んで苦難を受くることによって節子をも救いたいという心持と一緒に成って起って来た。

その心持から岸本は元園町の友人へ宛てた手紙を書いた。彼は自分の身についた一切のものを捨ててかかろうとしたばかりでなく、多年の労作から得た一切の権利をも挙げて旅の費用に宛てようと思って来た。この遽かな旅の思い立ちは誰よりも先ず節子を驚かした。

三十

「酒の上で言ったようなことを、そう岸本君のように真面目に取られても困る」

これは元園町の友人の意見として、過ぐる晩一緒に酒を酌みかわした客から岸本の又聞きにした言葉であった。