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しんせい
新生
島崎 藤村
「東京朝日新聞」1918(大正7)年5月1日~10月5日、1919(大正8)年8月5日~10月24日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 334,815 字 · 663 页
帰国後の岸本はある私立の大学で一週に二時間ほどの講義を受持っていた。彼は著作のために忙しくなるというのを口実にして、それとなく講座に立つことを遠慮した。諸方には仲間同志その他の種々な会合があった。そういう場所へも出席することを遠慮するように成った。彼の思い立ったことは早やこの通り自分を肩身の狭いものにした。それにも関らず、彼は今までの岸本捨吉を捨て、元の一書生に還るつもりで、もっと明るい自由な世界へ出て行こうとした。誰にも黙って眼に見えない牢屋を出る時が来た。この考えは彼を悦ばせた。彼はあの長い流浪の旅を終って故国に帰り着いた当時のことを思い出した。あの長期の航海を続ける船乗の心に自分の耐えがたい思郷の念を譬えて見たことを思い出した。陸の上に仆れ伏し、懐かしい土に接吻したいと思うという船乗の心は全く自分の心に近いと考えたことを思い出した。今こそまことにその時が来た。この考えもまた彼を悦ばせた。
その時になって見ると、岸本が辿り着いた愛の世界は罪過の苦しみから出発したところからは可成遠いものであった。
「二人していとも静かに燃え居れば世のものみなはなべて眼を過ぐ」