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しんせい

新生

島崎 藤村

「東京朝日新聞」1918(大正7)年5月1日~10月5日、1919(大正8)年8月5日~10月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 334,815 字 · 663 页

青空文庫

四十

そのかわりに新しい別の建築物があった。その建築物の裏側へ行って見た。そこに旧い記憶のある百日紅の樹を見つけた。岸本が外国の書籍に親しみ初めたのも、外国の文学や宗教を知り初めたのも、海の外というものを若い心に想像し初めたのも皆その岡の上であった。しばらく彼は新しい講堂の周囲を歩き廻った。彼はこの旧い馴染の土を踏んで、別れを告げて行こうとしたばかりではなかった。彼には遠い異郷の客舎の方で書きかけの自伝の一部の稿を継ごうと思う心があった。その辺をよく見て置いて、青年時代の記憶を喚起して行こうとしたからでもあった。日暮時の谷間の方から起って来る寺の鐘も、往時を思出すものの一つであった。その鐘の音は岸本の足を家の方へ急がせた。節子は夕飯の用意して叔父を待っていた。

四十

夕飯には家のもの一同別離の膳に就いた。食事する部屋の片隅には以前の住居の方から仏も移して持って来てあって、節子はそこへも叔父の出発の前夜らしく燈明を進げた。そのかがやきを見ても、二人の子供は何事も知らずにいた。食後に岸本は明るい仏壇の前へ子供を連れて行った。

「母さん、左様なら」

と岸本は子供等に言って見せた。