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しんせい

新生

島崎 藤村

「東京朝日新聞」1918(大正7)年5月1日~10月5日、1919(大正8)年8月5日~10月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 334,815 字 · 663 页

青空文庫

八十六

以前に使っていた婆やをすら恐ろしいと言って機嫌を取っていると書いてよこすほどの彼女であるから。して見ると自分さえ黙っていれば――黙って、黙って――そう岸本は考えて、更に「時」というものの力を待とうとした。もとより彼は自己の鞭を受けるつもりでこの旅に上って来た。苦難は最初より期するところで、それによって償い得るものなら自分の罪過を償いたいとは国を出る時からの願いであった。

「こんな思をしても、まだそれでも足りないのか」

と彼は自分で自分に繰返して見た。

八十六

節子はめずらしく岸本の夢に入った。寝苦しさのあまり、岸本が重い毛布を跳ねのけ、壁の側の寝台の上に半ば身を起して周囲を見廻した時は、まだ夢の覚め際の恐ろしかった心地が残っていた。

夏らしい夜ではあったが、妙に寒かった。岸本は寝衣の上に国の方から持って来た綿入を重ねて、寝台を下りて見た。窓に近く行って高い窓掛を開けて見ると、夜の明けがたの蒼白い静かな夢のような光線が彼の眼に映った。街路もまだ響の起らない時で、僅かに辻馬車を引いて通る馬の鈴の音と、町々を警めて歩く巡査の靴音とが、暗いプラタアヌの並木の間に聞えていた。