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しんせい
新生
島崎 藤村
「東京朝日新聞」1918(大正7)年5月1日~10月5日、1919(大正8)年8月5日~10月24日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 334,815 字 · 663 页
八十七
なるべく「あの事」には触れないように、それを思出させるようなことさえ避けたくている岸本に取っては、節子から度々手紙を貰うさえ苦しかった。彼は以前にこの下宿に泊っていた慶応の留学生からある独逸語を聞いたことがある。その言葉が英語の incest を意味していて、偏った頭脳のものの間に見出される一つの病的な特徴であると説明された時は、そんな言葉を聞いただけでもぎょっとした。彼はまたある若い夫人に関係があったという他の留学生の身上話を聞かされた時にも、その若い夫人が夫の旅行中に妊娠したという話を聞かされた時にも、そんな話を聞いただけで彼は酷く心に責められたことがある。況してその年若な留学生が自己の美貌と才能とを飾るかのようにその話を始めた時には、彼は独りで激しい心の苦痛を感ぜずにはいられなかった。何故、不徳はある人に取って寧ろ私かなる誇りであって、自分に取ってこんな苦悩の種であるのだろう、と嘆いたことさえあった。この一年あまりというもの、彼は旅に紛れることによって、僅に心の眼を塞ごうとして来た。
八十七
なつかしい故国の便りは絵葉書一枚でも実に大切に思われて時々旧い手紙まで取出しては読んで見たいほどの異郷の客舎にあっても、姪から貰った手紙ばかりは焼捨てるとか引裂いてしまうとかして、岸本はそれを自分の眼の触れるところ