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しんせい
新生
島崎 藤村
「東京朝日新聞」1918(大正7)年5月1日~10月5日、1919(大正8)年8月5日~10月24日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 334,815 字 · 663 页
巴里の客舎にあって、もう一度その稿を継ぐことが出来ると考えるさえ彼には不思議のようであった。
岸本がアウストリア対セルビア宣戦の布告を読んだのは、丁度その自分の仕事に取掛っている時であった。一日は一日より何となく町々の様子がおだやかでなくなって来た。不思議な、圧しつけるような、底気味の悪い沈黙は町々を支配し始めた。岸本が毎日食堂で見る顔触は、産科病院側の旅館から通って来る柳博士に隣室の高瀬の二人で、若い独逸人の客は最早見えなかった。食堂へ集る度に、高瀬等と岸本とは互いに不思議な顔を見合せるように成って行った。
来るべき大きな出来事の破裂を暗示するような不安な空気の中で、岸本は仕事を急いだ。あのノルマンディ生れの仏蘭西の作家が「聖アントワンヌの誘惑」を起稿したのは普仏戦争の最中で、巴里の籠城中に筆を執ったとやら。丁度あの作家は五十歳でその創作を思い立ったとやら。岸本はそんなことを旅の身に想像し、国の方に居る頃から友達とよく話し合ったあの作家が四十何年か前には巴里で物を書いていたことを想像し、それによって自分を慰め励まそうとした。時々彼は執りかけた筆を置いて、部屋の窓へ行って見た。