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しんせい

新生

島崎 藤村

「東京朝日新聞」1918(大正7)年5月1日~10月5日、1919(大正8)年8月5日~10月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 334,815 字 · 663 页

青空文庫

九

序に主婦は岸本の末の女の児にと言って、仏蘭西風の人形を提げて来てくれた。

「この人形の頭巾でも、着物でも皆私が手縫にしたものです。靴まで穿いています。これをお嬢さんに進げて下さいまし。お国へお帰りになって解いて御覧なさると、分ります。この人形は仏蘭西の女の子の着るものは皆身に着けています」

こう言った後で、主婦は言葉を継いで、

「もしまた戦争の済んだ時分に、巴里で下宿したいという日本のお方がありましたら、御世話をなすって下さいまし。私もこの商売を廃めてしまったでは御座いませんから」

と附けたした。

岸本の方でも礼を言って、二度と来て見る機会のありそうもないこの下宿の主婦にも別れを告げた。

九

巴里出発の日には、岸本は朝早く旅館を出て、行きつけの珈琲店で最終の小さな朝飯をやった。麺麭と、珈琲とで。

まだ出発間際までにはいくらかの時間があった。かねて岸本はこの都を去る前に、一番終いにもう一度見て行きたいと思うほど好きな薔薇園があった。その薔薇園がルュキサンブウルの公園内の美術館の裏手にあった。待ちに待った日がやって来て見ると、彼の足はその薔薇園の方へ向かないで、矢張長く住慣れた下宿のある町の方角へ向いた。