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しんせい

新生

島崎 藤村

「東京朝日新聞」1918(大正7)年5月1日~10月5日、1919(大正8)年8月5日~10月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 334,815 字 · 663 页

青空文庫

六十五

こう岸本の方では答えたが、それぎりもう二人はそんな話をしなかった。

義雄は時刻を違えず夕飯前に帰って来た。何年振にあの碓氷川の水音が聞けることか、そんな話が義雄の方からも岸本の方からも出た。その晩岸本は宿屋にでも泊るように兄の家に泊めて貰って、翌朝兄と共に磯部へ向けて発った。

六十五

山地に近い温泉場での三四日の滞在はひどく疲れて行った岸本に蘇生の思いを与えた。彼が磯部まで同伴した義雄兄よりすこし後れて東京へ引返そうとする頃には、帰国以来とかく手につかなかった自分の仕事に親しもうとする心を起した。

予て仏蘭西から携え帰った書籍なぞの置いてある高輪の家の書斎がこうした岸本を待っていた。彼は節子と自分の間に見つけた新しい心が、その真実が、長いこと自分の考え苦しんで来た旧い道徳とは相容れないものであることを知って来た。人生は大きい。この世に成就しがたいもので、しかも真実なものがいくらもある。こう深思する心は岸本を導いた。彼は一門の名誉のために自分の失敗を人知れず葬り隠してくれたような、あの義雄兄との別れ路に立たせられたことをつくづく感じて来た。彼は兄の心に背いても、あの不幸な姪を捨てまいとした。