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しんせい

新生

島崎 藤村

「東京朝日新聞」1918(大正7)年5月1日~10月5日、1919(大正8)年8月5日~10月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 334,815 字 · 663 页

青空文庫

前の年の暮に露領の方へ行く中根の送別会が駒形の鰻屋であった折なぞは未だ嫂はピンピンしていた。岸本はそのことを兄の前に言出して見た。

相談の中途で義雄は声を低くして、

「例の一件で心配させたことが、矢張嘉代の病気に祟っているかも知れんテ。吾家の祖母さんもああいう人だから、そう口に出してハッキリとは言わない。ハッキリとは言わないが、年寄は年寄だけに、『郷里の方から出て来なければ、嘉代もこんな病気には成るまい』ぐらいの調子はあるテ」

つい義雄はそれが口に出るという風であった。その時岸本は以前から懇意な博士の通うある病院を思い出して、その博士とは深い縁故のある田辺の弘(岸本が恩人の子息)からよく話して貰おう、一日も早く嫂が入院のことを取計おうと言出した。彼は弘を見るために、これから直にも出掛けようということを兄に約した。

その時の義雄は最早附添なしに独りで岸本の部屋に訪ねて来て、独りで廊下を帰って行くほど眼も快くなった。岸本は母屋の玄関まで義雄を送りに出た。別れ際に、義雄は半分独語のように、

「でも、御方便なものだ」

こう言い捨てた言葉を残して言った。

百五

谷中の家に病んでいた嫂が和泉橋に近い病院の方へ移ったのは、それから三四日後のことであった。