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しんせい
新生
島崎 藤村
「東京朝日新聞」1918(大正7)年5月1日~10月5日、1919(大正8)年8月5日~10月24日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 334,815 字 · 663 页
やがてその料理屋を出た頃は日もすっかり暮れていた。全く言葉の通じない仏蘭西船に上るということは、それだけでも酷く岸本の心を不安にした。町々を包む夜の闇はひしひしと彼の身に迫って来た。
「言葉が通じないというのも、旅の面白味の一つじゃ有りませんか」
この番町の言葉に励まされて、岸本は皆と一緒に波止場の方へ歩いて行った。神戸を去る前に、彼は是非とも名古屋の義雄兄に宛てた手紙を残して行くつもりで、幾度かあの宿屋の二階でそれを試みたか知れなかった。どうしても、その手紙は彼には書けなかった。彼はどういう言葉でもって自分の心を言いあらわして可いかを知らなかった。そこには言葉も無かった。仕方なしに船に乗ってから書くことにして、到頭彼はその手紙を残さずにランチに乗移った。
暗い海上に浮ぶ本船へは、友人や兄などの外に岸本を見送ろうとする二三の年若な人達もあった。岸本が二週間あまり世話になった宿屋のかみさんも女中を連れて、外国船の模様を見ながら彼を送りに来た。このかみさんは旅の着物のほころびでも縫えと言って、紅白の糸をわざわざ亭主と二人して糸巻に巻いて、それに縫針を添えて岸本に餞別としたほど細く届いた上方風の婦人であった。