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しんせい
新生
島崎 藤村
「東京朝日新聞」1918(大正7)年5月1日~10月5日、1919(大正8)年8月5日~10月24日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 334,815 字 · 663 页
巴里の天文台に近い並木街の一角にある下宿が岸本を待っていた。その辺の往来には朝通いらしい人達、労働者、牛乳の壜を提げた娘、野菜の買出しに出掛ける女連なぞが岸本の眼についた。下宿の女中と家番のかみさんとが来て彼の荷物を運んでくれたが、言葉は一切通じなかった。彼は七層ばかりある建築物の内の第一階の戸口のところで、年とった壮健そうな婦の赤黒い朝の寝衣のままで出て迎えるのに逢った。その人が下宿の主婦であった。この主婦の言うことも岸本には通じなかった。
客扱いに慣れたらしい主婦は一人の日本人を岸本のところへ連れて来た。その下宿に泊っている留学生で、かねて岸本は番町の友人から名前を聞いて来た人だ。長く外国生活をして来た人らしいことは一目見たばかりで岸本にも直にそれと分った。岸本は巴里へ来て最初に逢ったこの留学生から下宿の主婦の言おうとすることを聞取った。部屋へも案内された。
留学生は食事の時間なぞを岸本に説明して聞かせた後で言った。
「この主婦が君にそう言って下さいッて――『寝衣のままで大変失礼しました、いずれ着物を着更えてから改めて御挨拶します』ッて。君の着くのが今朝早かったからね」