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しんせい
新生
島崎 藤村
「東京朝日新聞」1918(大正7)年5月1日~10月5日、1919(大正8)年8月5日~10月24日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 334,815 字 · 663 页
堅く相許した心のまことを置いて、この世の何物が人を幸福ならしめるであろう、そうした遣瀬ない心の述懐には岡は殆ど時の経つのを忘れて話した。意中の人の母に宛てた激しい手紙を残し、その人の兄とも多年の親しい交りを絶って、そして国を出て来たというこの男の憤りと恨みとはいかなる寛恕の言葉をも聞入れまいとするようなところがあった。湯沸の湯が煮立った。岸本は町から求めて来た仏蘭西出来の茶碗なぞを盆の上に載せ、香ばしいにおいのする国の方の緑茶を注いで岡に勧めた。
この画家の顔を見ていると、きまりで岸本の胸に浮んで来る年若な留学生があった。ギャラントという言葉をそのまま宛嵌め得るような、巴里に滞在中も黄色い皮の手套を集めていたことがまだ岸本には忘れられずにある青年の紳士らしい風采をしたその留学生は、ある身上話を残して置いて瑞西の方へ出掛けて行った。留学生は国の方で深くねんごろにした一人の若い婦人があったと言った。深窓に人となったようなその婦人は現に人の妻であるとも言った。私費で洋行を思立った留学生が日本を出る動機の中には、すくなくもその若い夫人との関係が潜んでいるらしい口振であった。