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しんせい
新生
島崎 藤村
「東京朝日新聞」1918(大正7)年5月1日~10月5日、1919(大正8)年8月5日~10月24日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 334,815 字 · 663 页
彼の下宿では半ば引越しの騒ぎをした。主婦も、主婦の姪も、彼よりは一日前にリモオジュへ向けて発って行った。一部の旅行が許されるように成ったので、彼も下宿の人達に誘われて主婦の郷里の方へ出掛けることにした。これを機会に仏蘭西の田舎をも見ようとした。戦争以来旅行も不自由になった。旅客一人につき三十キロ以上の手荷物は許されなかった。早くやって来るリモオジュの方の寒さを予想して彼は自分の両手に提げられるだけの衣類を鞄に入れて持って行こうとした。書籍なぞは皆置捨てる思いをした。蝉の声一つ聞かない巴里の町中でも最早何となく秋の空気が通って来ていた。部屋の壁に残った蠅は来て旅の鞄に取付いた。
寂しい夕方が来た。岸本は独りぎりで部屋に残って、ともかくも一年余を遠い旅に暮したことを思い、消息の絶え果てた故国のことを思い、せめて巴里を去る前に短い便りなりとも国の方の新聞宛に書送ろうとして鞄の側に腰掛けて見ると、無暗と神経は亢奮するばかりで僅に東京の留守宅へ宛てた手紙を書くに止めてしまった。宵の明星の姿が窓の外の空にあった。時々その一点の星の光を見ようとして窓側に立つと、凄じい群集の仏蘭西国歌を歌って通る声が街路の方に起った。