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しんせい
新生
島崎 藤村
「東京朝日新聞」1918(大正7)年5月1日~10月5日、1919(大正8)年8月5日~10月24日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 334,815 字 · 663 页
いよいよ仏蘭西の旅も終に近いことを思わせるような夕方が来た。岸本は旅館の三階の部屋に独り籠って、古い歴史のあるソルボンヌの礼拝堂の方から石造の町の建築物の間を伝わって来る鐘の音を聞きながら、東京の留守宅宛の手紙を書いた。
かねて岸本にはこの旅を終る頃に為し遂げたいと考えて置いたことが有った。巴里を引揚げる頃が来たら自分の髭を剃落してしまおう、そして帰国の途に上ろうと考えていた。不思議と言えば不思議、突飛と言えば突飛な考えではあったが、心に編笠を冠る思いをして国を出て来た岸本には別にそれが不思議でもなく突飛でもなかった。何か彼は現在の自分の心を実際に自分の身に現したかった。
しばらく岸本は部屋の寝台に腰掛けて自分で自分の為ることを制止めようとして見た。しかし、かねての思いを遂げる時が来ていた。そこで彼は髭を落しに掛った。部屋には壁に寄せて造りつけた石の洗面台がある。その上に姿見がある。彼はその前に立って、自分で剃刀を執った。惜気もなく剃刀を動かす度に、もう幾年となく鼻の下に蓄えて置いたやつが曲めた彼の顔を滑り落ちた。好くも切れない剃刀で、彼は唇の周囲の腫れ上るほど力を入れて剃った。