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しんせい

新生

島崎 藤村

「東京朝日新聞」1918(大正7)年5月1日~10月5日、1919(大正8)年8月5日~10月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 334,815 字 · 663 页

青空文庫

三

東京の義雄兄からは、まだそんな話のきまらない前に、一度巴里へ知らせてよこしたことも有った。岸本はその便りを読んだ時に、節子には早く身を堅めさせたいというあの兄の焦った心を知り、先方の望み手というは毎月六七十円の収入のある勤め人であることを知り、その人が徳川時代に名高かったある学者の子孫にあたるということをも知った。兄はまた、その縁談の纏まることを希望しているとも書いてよこした。その後、兄からは何の沙汰もなく、節子自身からの折々の便りの中にも何もその事に就いて書いて無いところを見ると、恐らくその話は立消になったものであろうと思われたが――

こうした消息を胸に浮べて見る度に、節子が人知れず産み落した子供のこと、切開の手術を受けたという彼女の乳房のこと、何事も知らない人が一寸見たぐらいでは分らないまでに成ったという彼女の身体のこと――否でも応でも岸本の心はそれらの打消しがたい隠れた秘密に触れない訳には行かなかった。これから国をさして帰って行こうとする彼は、過ぐる三年近くの間自分の顔をそむけようとし、心の眼を塞ごうとし、どうかして旅に紛れて忘れよう忘れようとした、その恐しいものに面とむかわねば成らない。