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しんじゅふじん
真珠夫人
菊池 寛
「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页
、何と云う不思議な機縁であろうと、信一郎は思った。
が、青年の身になって、考えて見ると、一寸した小旅行の中途で思いがけない奇禍に逢って、淋しい海辺の一角で、親兄弟は勿論親しい友達さえも居合わさず、他人に外ならない信一郎に、死水を――それは水でなく、数滴のウィスキイだったが――取られて、望み多い未来を、不当に予告なしに、切り取られてしまった情なさ、淋しさは、どんなであっただろう。彼は、息を引き取るとき、親兄弟の優しい慰藉の言葉に、どんなに渇えたことだろう。殊に、母か姉妹か、或は恋人かの女性としての優しい愛の言葉を、どんなに欲しただろう。彼が、口走った瑠璃子と云う言葉は、屹度、そうした女性の名前に違いないと思った。
その裡に、信一郎の心に、青年の遺した言葉が考えられ始めた。彼は、最初にこう疑って見た。他人同然の彼に、何うして時計のことを云ったのだろう。若し、時計が誰かに返さるべきものなら名乗り合ったばかりの信一郎などに頼まないでも、遺族の人の手で、当然返さるべきものではなかろうか。が、信一郎は、直ぐこう思い返した。青年はノートの内容も、時計を返すことも、遺族の人々には知られたくなかったのだろう。