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しんじゅふじん

真珠夫人

菊池 寛

「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页

青空文庫

五

今までは、興奮のために夢中になっていた信一郎も、それを見ると、今更ながら、青年の最期の、むごたらしさに、思わず戦慄を禁じ得なかった。

五

が、時計を返すとして、一体誰に返したらいゝのだろうかと、信一郎は思った。青年が、死際に口走った瑠璃子と云う名前の女性に返せばいゝのかしら。が、瑠璃子と云ったのは、時計を返すべき相手の名前を、云ったのだろうか。時計などとは何の関係もない、青年の恋人か姉か妹かの名ではないのかしら。

『時計を返して呉れ。』と云ったとき、青年の意識は、可なり確だった。が、息を引き取る時には、青年の意識は、もう正気を失っていた。

『瑠璃子!』と、叫んだのは、たゞ狂った心の最後の、偶然な囈語で、あったかも知れなかった。が、瑠璃子と云う名前は、青年の心に死の刹那に深く喰い入った名前に違いなかった。丁度、腕時計が、死の刹那に彼の手首の肉に、喰い入っていたように。

信一郎は、再度その小形な腕時計を、手許に迫る夕闇の中で、透して見た。じっと、見詰めていると最初銀かニッケルと思った金属は、銀ほどは光が無くニッケルほど薄っぺらでないのに、気が付いた。彼は指先で、二三度撫でて見た。