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しんじゅふじん
真珠夫人
菊池 寛
「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页
二
青葉に掩われた谿壑から吹き起る涼風は、昔ながらに水の如き冷たさを帯びていた。
殊に、美奈子達の占めた一室は、ホテルの建物の右の翼の端にあった。開け放たれた窓には、早川の対岸明神岳明星岳の翠微が、手に取るごとく迫っていた。東方、早川の谿谷が、群峰の間にたゞ一筋、開かれている末遥に、地平線に雲のいぬ晴れた日の折節には、いぶした銀の如く、ほのかに、雲とも付かず空とも付かず、光っている相模灘が見えた。
設備の整ったホテル生活に、女中達が不用なため、東京へ帰してからは、美奈子達三人の生活は、もっと密接になった。
美奈子は、最初青年に対して、口も碌々利けなかった。たゞ、折々母を介して簡単な二言三言を交える丈だった。
母が青年と話しているときには、よく自分一人その場を外して、縁側に出て、其処にある籐椅子に何時までも何時までも、坐っていることが、多かった。
又何かの拍子で、青年とたゞ二人、部屋の中に取り残されると、美奈子はまた、じっとしていることが出来なかった。青年の存在が、息苦しいほどに、身体全体に感ぜられた。
そうした折にも、美奈子は、やっぱりそっと部屋を外して、縁側に出るのが常だった。