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しんじゅふじん
真珠夫人
菊池 寛
「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页
三
そう思うと、亡き父が、あの強い腕を差し伸べて、自分を招いていて呉れるように思われた。その手は世の人々には、どんなに薄情に働いたかも知れないが、自分に対しては限りない慈愛が含まれていた。美奈子は、父の腕が、恋しかった。父の、その強い腕に抱かれたかった。そう思うと、自分一人世の中に取り残されて、悲しく情ない目に会っていることが、味気なかった。
が、それよりも、彼女はこの部屋に止まっていて、母と青年とが、何知らぬ顔をして、帰って来るのを迎えるのに堪えなかった。何処でもいゝ、山でもいゝ、海でもいゝ、母と青年とのいないところへ逃れたかった。彼女は、泣き伏していた顔を、上げた。フラ/\と寝台を離れた。浴衣を脱いで、明石縮の単衣に換えた。手提を取り上げた。彼女の小さい心は、今狂っていた。もう何の思慮も、分別も残っていなかった。たゞ、突き詰めた一途な少女心が、張り切っていた丈である。
彼女が、着物を着換えてしまう間、幸に母と青年とは帰って来なかった。
彼女は、部屋を馳け出そうとしたとき、咄嗟に兄のことを考えた。兄は、白痴の身を、監禁同様に葉山の別荘に閉じ込められている。