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しんじゅふじん
真珠夫人
菊池 寛
「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页
二
それと同じように、芸術をいろ/\な人間の仕事の中で、一番尊いものだと思っている、兄の心も悲しかった。父から、描けば勘当だと厳禁されているにも拘わらず、コソ/\と父の眼を盗んで、写生に行ったり、そっと研究所に通ったりする兄の心が、悲しかった。が、何よりも悲劇であることは、そうしたお互に何の共鳴も持っていない人間同士が、父と子であることだった。父が、卑しみ抜いていることに、子が生涯を捧げていることだった。父の理想には、子が少しも同感せず、子の理想には父が少しも同感しないことだった。
カンバスが、引き裂かれる音がした後は、暫らくは何も聞えて来なかった。争いの言葉が聞えて来る裡は、それに依って、争いの経過が判った。が、急に静になってしまうと、却って妙な不安が、聞いている者の心に起って来る。瑠璃子はまた父が、興奮の余り心悸が昂進して、物も云えなくなっているのではないかと思うと、急に不安になって来て、争いの舞台たる兄の書斎の方へ、足音を忍ばせながらそっと近づいて行った。
二
瑠璃子は、そっと足音を立てないように、縁側を伝うて兄の書斎へ歩み寄った。とゞろく胸を押えながら縁側に向いている窓の硝子越しに、そっと室内をのぞき込んだ。