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しんじゅふじん
真珠夫人
菊池 寛
「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页
二
箱根へ行ってから、ゆっくり考えてお答えしますわ。」
夫人は、美しい微笑でそう云った。
箱根へ同行を誘って呉れる! それは、もう九分までの承諾であると彼は思った。
箱根に於ける避暑生活は、彼に取って地上の極楽である筈であった。
思いきや、其処に地獄の口が開かれていようとは。
「裏切者め!」
青年は、走りながら、思わず右の手のステッキを握りしめた。
二
ホテルの門に辿り着いたときにも、長い道を馳け続けたために、身体こそやゝ疲れていたものの、彼の憤怒は少しも緩んではいなかった。部屋へ飛び込めば、直ぐ鞄の中へ、凡てのものを投げ込むのだ。もう、こんな土地には一分だっていたくない。彼女が、帰って来ない裡に、一刻も早く去ってしまうのだ。
彼は心の裡で、そうした決心を堅めながら、烈しい勢で、玄関へ駈け上った。其処に立っていたボーイが、彼の面色を見ると、駭いて目を眸った。それも、無理はなかった。彼の眼は血走り、色は蒼ざめ、広い白い額に、一条の殺気が迸って、温和な上品な平素の彼とは、別人のような、血相を示していたからである。が、ボーイが、駭こうが駭くまいが、そんなことはどうでもよかった。