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しんじゅふじん
真珠夫人
菊池 寛
「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页
七
が、ポケットの底にある時計の事を考えれば、信一郎の責任は何時果されるとも分らなかった。
信一郎は車台に近寄って、黙礼した。不幸な青年に最後の別れを告げたのである。
巡査達に挨拶して、二三間行った時、彼はふと海に捨つるべく、青年から頼まれたノートの事を思い出した。彼は驚いて、取って帰した。
「忘れ物をしました。」彼は、やゝ狼狽しながら云った。
「何です。」車内を覗き込んでいた巡査が振り顧った。
「ノートです。」信一郎は、やゝ上ずッた声で答えた。
「これですか。」先刻から、それに気の付いていたらしい巡査は、座席の上から取り上げて呉れた。信一郎は、そのノートの表紙に、ペンで青木淳とかいてあるらしいのを見ると、ハッと思った。が、光は暗かった。その上、巡査の心にそうした疑は微塵も存在しないらしかった。彼は、やっと安心して、自分の物でない物を、自分の物にした。
七
真鶴から湯河原迄の軽便の汽車の中でも、駅から湯の宿までの、田舎馬車の中でも、信一郎の頭は混乱と興奮とで、一杯になっていた。その上、衝突のときに、受けた打撃が現われて来たのだろう、頭がズキ/\と痛み始めた。
青年のうめき声や、吐血の刹那や、蒼白んで行った死顔などが、ともすれば幻覚となって、耳や目を襲って来た。