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しんじゅふじん

真珠夫人

菊池 寛

「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页

青空文庫

親兄弟には、飽くまでも、秘密にして置きたかったのであろう。而も秘密に時計を返すには、信一郎に頼む外には、何の手段もなかったのだ。人間が人間を信じることが一つの美徳であるように、此青年も必死の場合に、心から信一郎を信頼したのだろう。いや、信頼する外には、何の手段もなかったのだ。

信一郎は、青年の死際の懸命の信頼を、心に深く受け入れずにはおられなかった。名乗り合ったばかりの自分に、心からの信頼を置いている。人間として、男として、此の信頼に背く訳には、行かないと思った。

人が、臨終の時に為す信頼は、基督正教の信徒が、死際の懺悔と同じように、神聖な重大なものに違いないと思った。縦令、三十分四十分の交際であろうとも、頼まれた以上、忠実に、その信頼に酬いねばならぬと思った。

そう思いながら、信一郎は死者の右の手首から、恐る恐る時計を脱して見た。時計も、それを腕に捲く腕輪も、銀か白銅らしい金属で出来ていた。ガラスは、その持主の悲惨な最期に似て、微塵に砕け散っていた。夕暮の光の中で、透して見ると、腕輪に附いている止め金が、衝突のとき、皮肉を切ったのだろう。軽い出血があったと見え、その白っぽい時計の胴に、所々真赤な血が浸んでいた。