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しんじゅふじん
真珠夫人
菊池 寛
「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页
白い大理石の柱の並んでいる車寄せで、彼は一寸躊躇した。が、その次の瞬間に、彼の指はもう扉の横に取付けてある呼鈴に触れていた。
茲まで来ると、ピアノの音は、愈間近く聞えた。その冴えた触鍵が、彼の心を強く囚えた。
呼鈴を押した後で、彼は妙な息苦しい不安の裡に、一分ばかり待っていた。その時、小さい靴の足音がしたかと思うと扉が静かに押し開けられた。名刺受の銀の盆を手にした美しい少年が、微笑を含みながら、頭を下げた。
「奥さまに、一寸お目にかゝりたいと思いますが、御都合は如何でございましょうか。」
彼は、そう云いながら、一枚の名刺を渡した。
「一寸お待ち下さいませ。」
少年は丁寧に再び頭を下げながら、玄関の突き当りの二階を、栗鼠のように、すばしこく馳け上った。
信一郎は少年の後を、じっと見送っていた。骰子は投げられたのだと云ったような、思い詰めた心持で、その二階に消える足音を聞いていた。
忽ちピアノの音が、ぱったりと止んだ。信一郎は、その刹那に劇しい胸騒ぎを感じたのである。その美しき夫人が、彼の姓名を初めて知ったと云うことが、彼の心を騒がしたのである。彼は、再びピアノが鳴り出しはしないかと、息を凝していた。